経営と戦争には共通点が多い②

前回は、日米開戦前の日本が既に現代的資本主義の根幹を既に獲得していたことを皮肉して終わった。

今回は、その続きから話をさせていただく。

 

日本海軍は零式艦上戦闘機の余りにも驚異的な性能に驚愕し満足してしまった。改良を小刻みに実施したとはいえ後継機の開発に手間を取り、結局のところは日本海軍の艦上戦闘機零戦のみで太平洋戦争を戦い抜いたようなものだろう。

細かな改修や現地改修等はあれど、太平洋戦争末期(1943年程)近くにロールアウトした零戦の最終型である五二型以外はそのほとんどが日中戦争時(1937年~)から活躍している初期型の二一型と同程度の性能であり、速力を向上させた代償として持ち味の旋回性を犠牲にした没機体などもあった。そのほかには、防弾ガラスを搭載したもののエンジンを高出力化に苦難して更に速力と機動力を低下させたものなどもあった。武装日中戦争時では極めて強力な武装だったが、日米戦争末期では人命保護に重点を置く米軍の戦闘機や爆撃機などの重装甲に有効打を与え辛くなっている上に、無線を搭載するも電子技術に関する知識と技術の遅れから、ノイズが酷くまともに聞こえない為に戦闘時には手信号を使わなければ分隊飛行すら困難な程に劣悪なものであったそうだ。これが終戦まで続いた。

理由は多岐にわたるが、これらの劣悪な内容の全ては日本の工業力と資源に起因している。大出力のエンジンも、防弾装備も、連携に最も必要な無線や電信機器、防弾性の需要。それら全てが必要であり、軍部もそれを理解していながら行動に移せなかった背景があることは私も、貴方も理解をする必要があると弁解させて頂きたい。

 

対して米国は持ち前の工業力と世界を相手に戦えるといっても過言ではないほどの潤沢な資源を武器に、大出力の単座戦闘機用のエンジンを作り、大量の防弾装備や防火装備、重武装に身を包んだ鉄の塊を恐ろしいほどの馬力を発揮するその大出力エンジンで無理やり飛ばすという、単純明快な解決策を叩きつけることが出来たのだ。

 

 

 

しかし、これらの工業力といった背景だけで全てを片付ける訳にもいかない。後継機が決まらなかった最大の理由は、首脳部が「後継機は現在運用している機体に対して全て上回るべきである」という、最高品質を追求した完璧主義的な価値観で埋め尽くされていた結果だろう。

この完璧主義は、ドイツ第三帝国にも同様に適用される。急降下爆撃機のJu87が大成功したことを受け、後年のドイツの爆撃機にはそのほとんどの機体に急降下爆撃が行える機体であることという条件が付けられることになる。それがたとえ双発だろうと4発(発=発動機、エンジンのことを差す)であろうと、機体に急激な負荷が掛かる急降下爆撃性を要求したことが原因でドイツの爆撃機開発は難航を極めた。Ju87は1935年に飛行をし、全時代の複葉機から引き継いだ固定脚を備えたものがドイツ軍首脳部が掲げる電撃戦のドクトリンに最適であった為に、後継機の開発は行われず、マイナーチェンジやエンジン、武装の改修を施した機体のみで戦争終結まで戦場を飛び続けることとなった。

 

前記・上記の内容は経営開発において、最高の体制を作り上げようと最高のパフォーマンスを発揮できるのは一時的なものであり細部の調整や常に抜本的改修や新規計画の必要性を強く指しているものである。

人工知能や仮想通貨など、既存の形態から推測できないものが生まれたからにはそれに対応する中身もまた相応しい推測できない新しいものを用意する見立てが状況を多分に改善していくだろう。昨今、記憶に新しい旧型と言えば記憶に浮かぶ数々のニュースやSNSが目に着くだろうが、ここで具体例を挙げることは控えさせていただく。

過去に大成功を収めた財閥で、現在まで名や勢力を遺していることが稀であることから、強大な権益や権威とは周囲の環境や共通認識の畏怖により、追随するものであり、全く違う認識を持つところに権威を持ち込んでも、相手にされないのが当然であろう。これは国外・国内問わず、同じ国でも地域が違えば変わることから、グローバル化という流行語のみで海外に進出し、地域に根を張った活動が出来ずに撤退と片付けるのは余りにも勿体ない。

 

が、新技術の中には眉唾物が吐いて捨てるほど存在する。

仮想通貨に至ってはマネーロンダリングからの偽装攻撃をして、窃盗と大変モラルが低い。投資家や投機家から見れば仮想通貨とは好きに弄ることの出来る玩具という認識であり、あまり重視は出来ない。だがそれは、仮想通貨についての見解に過ぎずブロックチェーンという新技術までをも軽視していい理由には何一つとして繋がらない。

何か一つの欠点を誇大に知らしめ、その他の利点を覆い隠して大手が二の足を踏むところを新規ベンチャーが先行獲得するのは常套手段であり、仮想通貨がまだ見向きもされていない時期から加熱させ、現状の過熱気味な環境にしてもなお視界に残る仕込みを敢行したことは舌を巻かざるを得ない。

たとえそれが、称賛に値しない思惑を含んだものであったとしても、最近の流行となるからには必ず理由が存在する。

 

仮想通貨というものに関しては、大勢の大衆がざっくりとした共通認識を持ったという前提で話を進めているため、ここで掘り下げることはせず、先に進めさせていただくことをご容赦願いたい。

 

仮想通貨が新しい流れを生み出した理由は、ずばり匿名性の高さとブロックチェーンで取引先の追尾が可能と謳いながら、他の仮想通貨に両替をした際には追尾不能と為り得る意図的に用意された欠陥にある。

当然、この機能は一般人、大衆に対して意味はないが、特定の目的を持つ人間にとっては多いにウケる。特定の目的を持つ人とその後は貴方の想像にお任せしたい。

ブロックチェーンに加え、現代に普及した汎用PCの性能が凄まじく高く、マイニング難易度が破綻する可能性が多分にあるためこの局面に置かれても投資や投機、ベンチャーに通ずる撤退の線引きが求められるのが常だ。

 

撤退という言葉を多用したが、どのような状況に直面した際に撤退をするのかというと貴方が考えるのは売れ行きが怪しく、利益が出なかったためというのが一般的なものだろう。しかし逆に、確かな利益が出たからこそ撤退をする企業も存在する。

今の時代、データ化やクラウド化されたものは多種多様に存在し、幅広く存在する同品目が形を変え、同時に存在している。例えば、音楽だ。音楽はCDで売られることもあれば、データ化されたものを販売することもある。データは存在さえしていれば再生できるが、CDとなるとそうはいかない。ディスクには互換性が存在し、映像作品に目を向ければVHS・DVD・Blu-ray。ディスクそのものはデータを読み書きできる互換性があるものの、再生可能機器にその互換性はない。それはすなわち、新しい規格の物が出回れば、新規の改修コストが掛かり、決して安くはない金額を投じて商品を並べるも顧客の反応を見続けなければならない。

それならば現在、良いパフォーマンスや一定の生産も区画整理で浮いたマンパワーをサポートに振り分ける事で、顧客から残念という声が出ても、不満が爆発して炎上するという危険な火薬庫になる可能性は多いに低い。そして、そうして経験を積み、少しずつ体制を変えていった企業というものはノウハウとして蓄積していき、利益を得る。

これらのことから、必ずしも撤退は最悪の曲面に衝突したから執った経営策という訳ではないことを覚えていてほしい。

 

既存の事業形態で定められた料理を奪い合う場合でも、新規形態の活路を切り開くベンチャー気質の場合でも、交渉・契約、拡大・縮小による社内のマンパワーの調整で会社が一時的とはいえ脆弱な部分を晒すことは避けられない。避けられないのであれば戦うしかないのだが、自らに不利な環境下で挑まなければならないということは、既に戦う前から負けているという表現になってしまう厳しい世界であるからこそ、したたかな戦略はどれだけ邪な思惑を抱え込んでいようと、舌を巻き、時には称賛に値するものだ。

 

総括をすると、経営も戦争も、人がシノギを削って、形は違えど戦いをしているという事実は変わらない。故に、経営者は絶えず変化し続ける情勢と内情に対する理解を多分に深め、徹底した連絡・連携を確立し、労働者に規定以上の労働を与えず、徹底した優れた環境を与え、短時間で全力を出させることが状況をより優位に向けることが出来る、ということだ。

 

完璧というものは存在せず、クリエイターというものは限られた時間と、リソースの中で最良の作品を出しているという観点を持つべきであり、これこそ傑作という発想は実に退廃的である。全力を出して提出されたものに文句を言う暇があるなら、より効果的なものが実現できるように環境を変える努力をし、頭を使うべきである。夢物語を実現させられないのであれば、将来の夢を語ることは許されない。

 

我々は、この現代社会に産まれ落ち、経営者として、労働者として激務に励まねばならない。しかし、だからこそ厳しい労働をさせるのではなく、残業をするのではなく。

 

より短い時間で、より効果的に。まさしく、日米大戦前の日本が皮肉にも辿り着いていた現代資本主義の根幹。優れた人材の育成をするべきではないのだろうか。

 

終わり。

経営と戦争には共通点が多い①

経営と戦争というジャンルは、一見両極端の様に見受けられるかもしれないが、その本質はほとんど同じである。

『経営』とは人を動かし、物を動かし、成果を得る。時には酷い敗北をすることもある。

『戦争』とは人を動かし、兵器を動かし、戦果を得る。時には大勢の死者を出し、領地を失うことがある。

これらから推察すると、貴方は「ただのゴネつきか」と思うかもしれない。

しかし、ここでブラウザバックをするのではなく、仕方ないな、見てやるかという寛大な御心を以てどうか一読して頂きたい。

 

 

既存の手法で成功した。その事実と業績は大変喜ばしいことだろう。次世代で成功する例が極めて稀である上に、従来の手法を原型にビジネスを行うのは、非常に簡単だ。

だが、これからの現代社会で一つの事業主となり、経営にあたる上で必要なことは【様々なビジネスの形態を模索する】ことである。言ってしまえば、チャレンジ精神だ。

 

また、ざっくりと「経営」と割り切ってしまったがこの事柄は労働者の方々にも多分に適用される話であることを、予めここで言わせていただく。

 

両者が目指す先は何か。

それは【完璧、もしくは究極】と呼べる変化や進化、発展の余地がない完成形である。

なるほど、美しい呼び名だ。これなら、確実に満足できるだろう。

しかし喝である。

経営も戦争も、真に目指すべきは完璧などというものが存在し得ないことに対する理解を深めながらも、【完璧に最も近い状態でありながら拡張の余地を残し続けている形態】を探求する姿勢が必要なのではないだろうか。

 

なぜそのような解釈を持つのに至ったか、稚拙な文章ではあるが説明をさせていただく。

まず、完璧や究極といったものは上記に挙げた通り、これ以上発展する余地のない完成形である。しかし、それは飽くまで聞こえを良くしただけの言葉であり、悪辣にこれを捉えるのならば【冷えて固まった鉄】だ。

確かに丁寧に打たれ、見た目美しく整えた鉄は最高の出来かもしれない。

しかし、それは硬直化してしまったものであり、予想・予測の困難な状況に直面した際に掛かる負荷に耐えられず、折れてしまったときは醜態を晒してしまうことだろう。

 

完璧だと慢心し、更なる可能性と発展を潰えさせてしまった例を第二次世界大戦時の大日本帝国の実体験から挙げていく。

 

零戦の机上的優位性と慢心

第二次世界大戦勃発前、日中戦争時にその姿を見せた零戦零式艦上戦闘機。これは戦争当初において世界最高峰の戦闘機であり、当時の常識ではおおよそ考えられないほどの速力と旋回性、航続距離と武装を備えた機体である。

機敏な旋回性を持つことで知られている複葉機が一切追い付くことの出来ない速度と、逃れられないキレの鋭い旋回性を兼ね備え、かつ撫でる様に射撃をするだけで粉屑のように粉砕される複葉機を見て、世界は単座戦闘機に対する従来の認識を覆した。

 

が、その輝かしい業績の裏には犠牲も付いて回るものであり、零戦も例外に漏れない。

 

結果だけ話すのであれば、日本海軍は完璧を作り慢心した為にその首を自ら絞めた。

圧倒的な航続距離を活かし、軍首脳部は敵艦隊の戦力が展開する位置より遥かに手前で航空機を発進させ、基地や敵艦隊を攻撃する所謂アウトレンジ戦法を用いた。この戦法は敵艦隊が保有する兵器の有効攻撃範囲外から、一方的な先制攻撃を仕掛け撤退するというものである。これは理論的に正しく、やらない理由はないだろう。

しかし、この戦法が可能なのは相手が迎撃態勢を整えておらず、無警戒状態の時に限られる上に、敵艦隊に援軍が来ないことを想定した場合のみである。

 

この戦法は、日米戦争開幕当初においてはハワイ島奇襲作戦を見るからに明らかに有効であった。が、開戦2年後には日本海軍のアウトレンジ攻撃に対策をたてた米海軍の早期警戒用のレーダーの開発により、事前に襲来を察知され護衛空母や陸上基地から多くの戦闘機が日本機の頭上より遥か高くの空で待ち受けていた。

しかし、この戦法において最も重要な点は機体の性能ではなく、人間である。

六時間超にもなる夜間飛行を続け、ようやく敵艦隊を発見、攻撃を仕掛けるも一発の被弾が防御性の低さ故に致命的損傷となり、脱出に成功したとしても周囲の海域に味方の軍艦は存在しない。その中で、単独行動をし生き延びる必要があった日本。

それに対し米軍を覗いてみれば、敵の襲来を察知した後に一時間程度の周辺警戒の上、防空圏内であり味方からの支援射撃に加え、万が一撃墜されたとしても即座に味方艦艇による救助が見込めた。これ以上の掘り下げは、攻撃側と防御側の戦術談義に繋げなければ終わらないものとなるのでここで切らせていただく。

 

上記の内容から何となく見えてくるものがあると思うが、戦闘とは単純な突出能力ではなく総合力で競うものである。即ち、これは経営にも繋がるものではないだろうか。

 

 

次に、首を絞めたといったが、どのあたりが首を絞めたのかを説明させていただく。

 

日本海軍は、紛れもなく当時世界最高峰の戦闘機を作り上げた。作り上げてしまった。その上、多大な実績を手に入れてしまったことで、更なる進化を一時的にも止めてしまったことが、後年の日本へ多大な弊害を招くことになる。

 

米軍は数は多いが、零戦と比較すると機体も、それを駆使するパイロットも未熟であった。

しかし、その未熟があったからこそ、航空機を運用するにあたり規約として零戦の旋回戦に乗らず、機体の極度の軽量化を行った日本機が苦手とする急降下を発生させる為に集団で日本機の上を取り一気に降下して攻撃を敢行する一撃離脱の徹底を図った。

さらに、機体は落ちるものだがパイロットの人員育成はそう在ってはならないと、戦闘機としての機能を損なうほどの装甲板や分厚い防弾ガラスを搭載した。これは日本が唖然とするほどの人命重視であった。

 

日本はこれを、覚悟や決意が落伍したヤンキーと称して馬鹿にしていたが、装甲や機体に守られ脱出に成功したパイロットは、その経験を基に次の戦闘や後継者の育成に全力を尽くし、確実に成長していく。

 

日本がマンパワーに劣るものの、大量の人材を育成して生き残った優秀な人材のみを使用する現代の資本主義、実力主義的な構想を持っていた。米国が圧倒的な工業力とマンパワー保有した上で撃墜されてもまた次の機会が与えられ、総合的に人材の質を高めていった。日米開戦前から日本が現代的資本主義の根幹のようなものに着手していたのは、皮肉と言えるだろう。

 

続く。