経営と戦争には共通点が多い①

経営と戦争というジャンルは、一見両極端の様に見受けられるかもしれないが、その本質はほとんど同じである。

『経営』とは人を動かし、物を動かし、成果を得る。時には酷い敗北をすることもある。

『戦争』とは人を動かし、兵器を動かし、戦果を得る。時には大勢の死者を出し、領地を失うことがある。

これらから推察すると、貴方は「ただのゴネつきか」と思うかもしれない。

しかし、ここでブラウザバックをするのではなく、仕方ないな、見てやるかという寛大な御心を以てどうか一読して頂きたい。

 

 

既存の手法で成功した。その事実と業績は大変喜ばしいことだろう。次世代で成功する例が極めて稀である上に、従来の手法を原型にビジネスを行うのは、非常に簡単だ。

だが、これからの現代社会で一つの事業主となり、経営にあたる上で必要なことは【様々なビジネスの形態を模索する】ことである。言ってしまえば、チャレンジ精神だ。

 

また、ざっくりと「経営」と割り切ってしまったがこの事柄は労働者の方々にも多分に適用される話であることを、予めここで言わせていただく。

 

両者が目指す先は何か。

それは【完璧、もしくは究極】と呼べる変化や進化、発展の余地がない完成形である。

なるほど、美しい呼び名だ。これなら、確実に満足できるだろう。

しかし喝である。

経営も戦争も、真に目指すべきは完璧などというものが存在し得ないことに対する理解を深めながらも、【完璧に最も近い状態でありながら拡張の余地を残し続けている形態】を探求する姿勢が必要なのではないだろうか。

 

なぜそのような解釈を持つのに至ったか、稚拙な文章ではあるが説明をさせていただく。

まず、完璧や究極といったものは上記に挙げた通り、これ以上発展する余地のない完成形である。しかし、それは飽くまで聞こえを良くしただけの言葉であり、悪辣にこれを捉えるのならば【冷えて固まった鉄】だ。

確かに丁寧に打たれ、見た目美しく整えた鉄は最高の出来かもしれない。

しかし、それは硬直化してしまったものであり、予想・予測の困難な状況に直面した際に掛かる負荷に耐えられず、折れてしまったときは醜態を晒してしまうことだろう。

 

完璧だと慢心し、更なる可能性と発展を潰えさせてしまった例を第二次世界大戦時の大日本帝国の実体験から挙げていく。

 

零戦の机上的優位性と慢心

第二次世界大戦勃発前、日中戦争時にその姿を見せた零戦零式艦上戦闘機。これは戦争当初において世界最高峰の戦闘機であり、当時の常識ではおおよそ考えられないほどの速力と旋回性、航続距離と武装を備えた機体である。

機敏な旋回性を持つことで知られている複葉機が一切追い付くことの出来ない速度と、逃れられないキレの鋭い旋回性を兼ね備え、かつ撫でる様に射撃をするだけで粉屑のように粉砕される複葉機を見て、世界は単座戦闘機に対する従来の認識を覆した。

 

が、その輝かしい業績の裏には犠牲も付いて回るものであり、零戦も例外に漏れない。

 

結果だけ話すのであれば、日本海軍は完璧を作り慢心した為にその首を自ら絞めた。

圧倒的な航続距離を活かし、軍首脳部は敵艦隊の戦力が展開する位置より遥かに手前で航空機を発進させ、基地や敵艦隊を攻撃する所謂アウトレンジ戦法を用いた。この戦法は敵艦隊が保有する兵器の有効攻撃範囲外から、一方的な先制攻撃を仕掛け撤退するというものである。これは理論的に正しく、やらない理由はないだろう。

しかし、この戦法が可能なのは相手が迎撃態勢を整えておらず、無警戒状態の時に限られる上に、敵艦隊に援軍が来ないことを想定した場合のみである。

 

この戦法は、日米戦争開幕当初においてはハワイ島奇襲作戦を見るからに明らかに有効であった。が、開戦2年後には日本海軍のアウトレンジ攻撃に対策をたてた米海軍の早期警戒用のレーダーの開発により、事前に襲来を察知され護衛空母や陸上基地から多くの戦闘機が日本機の頭上より遥か高くの空で待ち受けていた。

しかし、この戦法において最も重要な点は機体の性能ではなく、人間である。

六時間超にもなる夜間飛行を続け、ようやく敵艦隊を発見、攻撃を仕掛けるも一発の被弾が防御性の低さ故に致命的損傷となり、脱出に成功したとしても周囲の海域に味方の軍艦は存在しない。その中で、単独行動をし生き延びる必要があった日本。

それに対し米軍を覗いてみれば、敵の襲来を察知した後に一時間程度の周辺警戒の上、防空圏内であり味方からの支援射撃に加え、万が一撃墜されたとしても即座に味方艦艇による救助が見込めた。これ以上の掘り下げは、攻撃側と防御側の戦術談義に繋げなければ終わらないものとなるのでここで切らせていただく。

 

上記の内容から何となく見えてくるものがあると思うが、戦闘とは単純な突出能力ではなく総合力で競うものである。即ち、これは経営にも繋がるものではないだろうか。

 

 

次に、首を絞めたといったが、どのあたりが首を絞めたのかを説明させていただく。

 

日本海軍は、紛れもなく当時世界最高峰の戦闘機を作り上げた。作り上げてしまった。その上、多大な実績を手に入れてしまったことで、更なる進化を一時的にも止めてしまったことが、後年の日本へ多大な弊害を招くことになる。

 

米軍は数は多いが、零戦と比較すると機体も、それを駆使するパイロットも未熟であった。

しかし、その未熟があったからこそ、航空機を運用するにあたり規約として零戦の旋回戦に乗らず、機体の極度の軽量化を行った日本機が苦手とする急降下を発生させる為に集団で日本機の上を取り一気に降下して攻撃を敢行する一撃離脱の徹底を図った。

さらに、機体は落ちるものだがパイロットの人員育成はそう在ってはならないと、戦闘機としての機能を損なうほどの装甲板や分厚い防弾ガラスを搭載した。これは日本が唖然とするほどの人命重視であった。

 

日本はこれを、覚悟や決意が落伍したヤンキーと称して馬鹿にしていたが、装甲や機体に守られ脱出に成功したパイロットは、その経験を基に次の戦闘や後継者の育成に全力を尽くし、確実に成長していく。

 

日本がマンパワーに劣るものの、大量の人材を育成して生き残った優秀な人材のみを使用する現代の資本主義、実力主義的な構想を持っていた。米国が圧倒的な工業力とマンパワー保有した上で撃墜されてもまた次の機会が与えられ、総合的に人材の質を高めていった。日米開戦前から日本が現代的資本主義の根幹のようなものに着手していたのは、皮肉と言えるだろう。

 

続く。